― 空白の10年を越えて、未来へつなぐ二日間 ―
【第一章 始まるはずだった70周年】
2021年。本来であれば福住剣友会は創立70周年記念大会を迎える年でございました。
その準備は2019年頃より静かに始まり、積立や記念事業の方向性について、父母の間でも少しずつ話し合いが進められていたと伺っております。
当時、私はまだ低学年の父母であり、65周年記念大会を経験しておりませんでした。
そのため、記念大会とは「大きな節目に合わせて開催される大会である」という程度の理解に留まり、実際にどれほどの規模で、どれほどの準備が必要で、どれほど多くの方々の手で支えられているのか、具体的に想像することはできておりませんでした。
ただ、先輩方から語られる65周年の話は、今振り返っても強く印象に残っております。
「会場係がインカムを装着し、会場全体が緻密に連携して動いていた。」
「まるで大きなイベントのようで、運営が非常に整っていた。」
そして、「父母全員でお揃いのポロシャツを制作し、同じ装いで大会を支えた」というお話も伺いました。
当時の私は、それらを“すごい話”として聞きながらも、どこか遠い世界の出来事のように感じていたのだと思います。
65周年が「いつ・どこで・どれくらいの人数で」実施されたのか、運営の裏側で何が起きていたのか、詳細を聞く機会も少なく、理解が追い付いていないまま日々の稽古に向き合っておりました。
そのような折、世界は一変いたしました。
新型コロナウイルス感染症の拡大により、道場は閉鎖され、稽古は停止し、各種大会は次々と中止となりました。
70周年記念大会も開催されることなく、その節目は静かに過ぎ去りました。
率直に申し上げれば、当時は「記念大会がなくなった」という喪失感よりも、日常をどう守るかという現実の方が大きく感じられました。
稽古は再開できるのか。
子供たちの気持ちをどう保つのか。
家庭として、地域として、この状況をどう乗り越えるのか。
その一つひとつが切実で、記念大会の重みを実感する余裕は、正直なところ、ほとんどございませんでした。
しかし、後になって思えば、この“空白の時間”こそが、75周年を「再構築の大会」として立ち上げていく原点になったのだと感じております。
【第二章 止まっていた時間が動き出す】
2021年以降、徐々に社会の動きが戻り始め、稽古も再開されました。
竹刀の音が体育館に戻り、子供たちの声が響くようになり、日常が少しずつ取り戻されていきました。しかし、2022年、そして2023年に至るまで、記念大会について具体的な議論が活発に行われることは多くありませんでした。
70周年は中止となり、節目が一度途切れた状態のまま、まずは目の前の稽古や既存の大会に向き合う――そのような時間が続いていたように思います。
やがて2023年になり、「2026年は75周年である」という言葉が、現実のものとして語られるようになりました。
このとき、もう一つ強く意識されたのは“時間の流れ”でした。
65周年のときに高学年や中学生であった子供たちは、すでに成人しております。当時の記念大会を選手として経験した世代は、もはや小中学生ではありません。
継承者がいないという意味ではなく、10年という時間が確実に流れ、世代が移り変わったという事実を、私たちは改めて実感いたしました。
もし75周年まで曖昧にしてしまえば、記念大会という文化そのものが遠のいてしまうかもしれない。
そんな危機感が、少しずつ共有されていきました。
一方で、現実的な課題も明らかでした。
いきなり2026年に大規模な本大会を開催することは、準備・体制・経験の面で、非常に厳しい。
そこで2023年10月、「まずはプレ大会を開催し、当日のオペレーションを実地で検証したうえで、本大会を迎える」という方針が決定されました。
2024年1月には会場を予約し、ここからは後戻りできない段階に入ります。
2025年春のプレ大会、そして2026年の75周年本大会へ。
静かに、しかし確実に歯車が回り始めました。
【第三章 唯一残された工程表】
プレ大会をやろうと決めたとき、頼れるものは多くありませんでした。
その中で、唯一残っていたといえるのが、前回大会において父母会の村井様が残してくださっていた資料でした。
そこには、いつまでに何を行うべきかが整理されたマスタースケジュール、いわゆる工程表が記されておりました。
工程表を目の前にしたとき、65周年が「当日だけすごかった大会」ではなく、緻密な準備の積み重ねによって支えられていた大会であることを、初めて現実として理解いたしました。
私たちは、その工程表を見ながら、身を見真似でプレ大会を設計することにいたしました。
受付、進行、審判配置、集計、会場係の動き、必要な備品。
一つ決めれば、また次の課題が見えてくる。
工程表は道標でありながら、同時に“やるべきことの多さ”を突きつける存在でもありました。
なかでも最も時間を要したのが、プログラム作成でございました。
私はデザイン会社勤務でもなく、専門の制作経験があるわけではありません。それでも、プログラムは大会の顔であり、進行の基盤です。
ここを曖昧にしたまま当日を迎えることはできませんでした。
頼れるのはGoogleスプレッドシート。
トーナメント表をどう組むか、団体名をどう配置するか、ページ構成をどうするか、文字サイズは適切か。
過去に出場させていただいた様々な大会のプログラムを見比べ、構成を学び、必要な要素を抽出し、福住剣友会の大会として再構成していきました。
修正して、確認して、また直す。
印刷想定で崩れがないかを確認し、データを再点検する。
夜遅くまで画面に向き合う日々は、プレ大会準備の象徴だったといえます。
この時点で、私はようやく、先輩方が語っていた「インカムが飛び交う大会」という言葉の意味を理解し始めました。
インカムそのものではなく、インカムが必要になるほどの規模と連携があり、それを支える準備がある。
その“裏側”を、工程表とプログラム作成の格闘を通じて、少しずつ体感することになったのです。
【第四章 プレ大会という挑戦】
2025年春、プレ大会当日。
本当に多くの父母の皆様のご協力があり、受付から進行まで、運営は概ねスムーズに進んでいきました。
「回っている」――そう実感できる瞬間が確かにございました。
一方で、初めて見える課題もございました。
特に印象的だったのは、マイクのハウリングです。
体育館という空間特性の中で、音響の調整は想像以上に難しく、少しの設定で聞こえ方が大きく変わります。
また、タイマーの位置も課題でした。
審判・選手・会場係・観客、それぞれが必要なタイミングで確認できる位置はどこなのか。
これまで“大きな大会を主催する”経験がなかったからこそ、実地で初めて突き当たる壁でした。
会場設営については、事前に長さを測った紐をご用意いただき、コート間隔や動線を正確に確保できたことが大きな助けとなりました。
当日の設営が迷いなく進む光景は、準備の力そのものであり、福住剣友会の層の厚さを感じる場面でもございました。
プレ大会は完璧ではございませんでした。
しかし、最も重要な結論は明確でした。
65周年を経験していない世代であっても、体制を組み、準備を重ねれば、運営は成立する。
その確かな手応えを得られたことが、75周年本大会へ向けた大きな転換点となりました。
【第五章 本格始動 ― 実行委員会という船出】
2025年4月、75周年本大会に向けた実行委員会が本格的に立ち上がりました。
ここからは構想ではなく実行です。
総務、会場、審判、集計、受付、広報、プログラム。
それぞれの役割を整理し、責任の所在を明確にしながら、準備は加速していきました。
実行委員会は4月・5月・6月・7月と、月に一度の定例会議を重ねました。
期日が近づくほどに、75周年は“現実”として重みを増していきます。
最大の課題は、人員確保でした。
会場係を含めた必要人数をどう確保するのか。
卒業生の皆様にどのように声を掛け、どこまでご協力をお願いできるのか。
前回は高体連などのつながりで高校生の協力もあったと伺っておりましたが、今回は同じ形が取れるとは限りません。
「できるだけ多くの方に集まっていただけるよう、全員で声掛けを進めよう。」そう決め、お願いと調整を重ねていきました。
また、今回は会場を二日間確保していたため、せっかくであれば前日に錬成会を開催しようという方針となりました。
本大会に加え錬成会を実施する二日間開催は、準備と運営の負荷が大きい挑戦でございましたが、プレ大会で得た経験を土台に、延長線上で設計していくことを目指しました。
【第六章 膨れ上がる規模 ― 想定を超える現実】
参加募集を開始した当初、プレ大会で得た手応えもあり、「必要なことを積み上げていけば形にできる」という感覚がございました。
しかし、実務の現場では、想定をはるかに超える波が押し寄せてまいりました。
声を掛けた団体は80を超えました。
参加希望、人数報告、監督名の確認、問い合わせ、変更連絡。
メールは一通では終わりません。
初回の返信の後に、追加の質問、人数の増減、選手名の修正が続きます。
その都度、確認し、返信し、記録し、全体に反映させなければなりませんでした。
仕事を終え、帰宅し、パソコンを開く。
受信トレイには未処理のメールが積み上がっている。
一通ずつ開き、団体名の正式表記を確認し、選手名の漢字を照合し、学年を確認し、人数を再計算する。
わずかな誤りが、プログラムの誤記となり、組み合わせの不整合となり、当日の混乱につながりかねません。「一つでも誤りがあってはならない」――その緊張感の中で、作業が続きました。
そして、ここに追い打ちをかけたのが、開催時期と重なったインフルエンザの流行でございました。体調不良による欠席、急なメンバー変更、オーダー変更の依頼が、毎日のように届きました。
「急遽欠席となりました」「メンバーを差し替えさせてください。」文面は短くても、運営側で必要となる修正は小さくありません。
特に中学生の部は、人数が多く、組み合わせが複雑であったため、変更の影響が非常に大きい部門でした。
一人変わると、対戦順や進行時間の再計算が必要になる場合もあります。
結果として、中学生の組み合わせは120回以上組み替えることとなりました。
一度組んだものを崩し、再配置し、進行の整合性を取り、再度確認する。
修正しては確認し、確認してはまた変更が入る。
その繰り返しでございました。
錬成会も同様でした。
当初の想定から変更が重なり、結果として「120回以上組み替えた錬成会」といえるほど、調整が続きました。
正直に申し上げれば、精神的な負担は小さくございません。
しかし、画面上の数字の向こうには、出場を楽しみにしている子供たちがいます。
欠席連絡の裏には、体調不良で出場できなくなった悔しさもあります。
できる限り公平で、混乱の少ない形に整えること。
それが運営側としての責務でございました。
こうした作業を支えたのが、Googleスプレッドシートによる一元管理でした。
団体情報、選手情報、対戦表、パンフレット原稿。
データを揃え、整合性を取り、必要な形に落とし込んでいく。
いわば、スプレッドシートの中で大会全体が組み上がっていくような感覚でした。
作業が進むにつれ、参加人数の合計が見えてまいりました。
数字が積み上がり、最終的に見えたのは「約1,200名。」
その数字を目にしたとき、誇らしさと同時に、責任の重さを強く感じました。
この大会は、もはや内部の行事ではありません。
多くの方々の期待を背負う大会へと成長していたのです。
準備は、最終局面へと入っていきました。
【第七章 そして迎えた朝 ― 約1,200名の現実】
迎えた当日。
ここまで何度も会議を重ね、夜中までメールを整理し、120回以上組み替えた対戦表を抱えながら、ついにその朝を迎えました。
まだ空が明るくなりきらない時間帯。
会場へ向かう足取りは静かでありながらも、胸の奥には重い緊張がございました。本当に予定通り進むのか。
組み替えたプログラムは機能するのか。
人の流れは滞らないか。
万が一のとき、事故なく安全に運営できるのか。
会場に到着し、準備を進めていると、想定よりも早い時間から人が集まり始めました。
まだ受付開始前にもかかわらず、会場の外には、すでに列ができ始めていたのです。
約1,200名という規模は数字では理解していたつもりでしたが、列が伸びていく光景は、数字とはまったく違う重みを持っておりました。ここで事故が起きてはならない。
入場時の混乱は、最も避けるべき事態です。
誘導係は足りているか。
動線は確保されているか。
扉の開放タイミングは適切か。
一つ間違えば、押し合いになりかねません。
慎重に誘導を行い、入場を開始いたしました。
安全確保のための声掛け、立ち止まりを作らない動線づくり、場内への分散誘導。
現場の判断が連続する時間でした。
幸い大きな事故なく、徐々に人の流れは落ち着いていきましたが、この時点で改めて実感いたしました。
この大会は、想像以上に大きい――と。
体育館の中では、ウォーミングアップが始まりました。
一斉に振りかぶる竹刀、足さばきの音、気合いの声。
その人数の多さは圧倒的でございました。
外の列として見えていた“約1,200名”が、今度は体育館の中で「光景」として立ち上がっていく。
その瞬間、75周年という節目の重みを、身体で理解したように思います。
一方で、運営は止まりません。
パソコンを設置し、対戦結果をリアルタイムで入力できる状態を整える。
進行表を再確認する。
審判の配置を確認する。
当日朝まで調整が入っていた部門については、再度整合性を点検する。
緊張は続きます。
開会式まで進める。
それが最初の大きな関門でした。
受付は滞っていないか。
プログラムは行き渡っているか。
欠席・変更は反映されているのか。
導線に危険はないか。
小さな行き違い、音響の再調整、立ち位置の微調整――課題は次々と現れます。
完璧ではございませんでした。
反省点は、この時点ですでにいくつも見えておりました。
しかし、時計が示したのは開会式の開始時刻。
全体が整い、整列が完了し、式が始まった瞬間、胸の奥で静かな安堵が広がりました。
「なんとか、ここまで来た。」
その感覚は、準備に関わった者にしか分からない重さを持っていたように思います。
開会式の先は、止まることのない一日でございました。
試合結果の入力、集計、問い合わせ対応、進行の微調整、突発的な事態への対応。
一つひとつに対処しながら、気がつけば夕刻を迎えておりました。
長いはずの一日が、驚くほど早く過ぎていきました。
反省点はございます。
改善すべき点も確実にございます。
それでも、約1,200名の皆様とともに75周年記念大会を開催できたという事実は、何より大きな成果でございました。
また、前日の錬成会にも多くの子供たちにご参加いただき、二日間にわたる記念事業として実施できたことは、剣道に携わる者として大きな喜びでございます。
【実行委員長 西山 亮より】
75周年という節目は、単なる数字ではございません。
それは、75年という長きにわたり、福住剣友会を支え続けてくださった多くの先輩方、指導者の皆様、保護者の皆様、そして子供たち一人ひとりの努力と情熱の積み重ねの証であります。
本大会の準備を進める中で、私は幾度となく、その重みを感じました。
65周年のときに高学年であった子供たちは、すでに社会人となっております。70周年は開催されませんでした。時間は確実に流れ、世代は移り変わっております。
だからこそ、75周年は「継承」だけではなく、「再構築」の大会であったと考えております。
前例に頼るのではなく、残された資料を手がかりにしながら、自分たちの手で一つひとつ形をつくっていく。プレ大会を開催し、課題を洗い出し、組織を立ち上げ、毎月議論を重ねる。その積み重ねの先に、本大会当日がございました。
約1,200名という参加人数は、単なる数字ではありません。
それは、この大会に関わってくださった皆様の想いの総和であり、福住剣友会がこれまで築いてきた信頼の証であると受け止めております。当日、体育館いっぱいに広がる選手たちの姿を目にしたとき、そして多くの関係者の皆様が集ってくださった光景を拝見したとき、75周年を開催できたことの意味を改めて実感いたしました。
本大会は決して一人の力で成し遂げられたものではございません。実行委員をはじめ、指導部の先生方、父母の皆様、卒業生の皆様、関係各位のご支援があってこそ実現できたものであります。心より感謝申し上げます。
75周年は通過点でございます。
本大会で築いた運営体制や経験は、必ずや次の世代へと引き継がれていくことでしょう。そして100周年を迎えるその日まで、福住剣友会が地域に根ざし、子供たちの成長を支える存在であり続けることを強く願っております。
歴史は守るだけでは続きません。
挑戦し、磨き、次へとつなぐことで、初めて未来が開けます。
本大会に関わってくださったすべての皆様に、改めて深く御礼申し上げますとともに、今後とも福住剣友会へのご指導・ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
福住剣友会75周年記念剣道大会実行委員長 西山 亮
